フローレンス・ナイチンゲール裕福なジェントリの家庭に育ったナイチンゲールは看護婦を志し、のちに婦人病院長となる。しかし、クリミア戦争が勃発すると、翌1854年、自ら志願して38名の看護婦を率い従軍した。
スクタリ病院の看護の総責任者として活躍。後に判明することであるが、着任後に死亡率は上昇(42%)したが、『衛生委員会』の査察で衛生状態の改善により好転した。当時、その働きぶりから「クリミアの天使」とも呼ばれた。看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは、ナイチンゲールに由来する。夜回りを欠かさなかったことから、「ランプの貴婦人」とも呼ばれた。
ナイチンゲールは赤十字活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していたが、赤十字国際委員会の創設者の一人であるアンリ・デュナンがナイチンゲールの活動を高く評価していたため、赤十字国際委員会が「傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して、偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師」(全世界で隔年(西暦で奇数年)で50人以内)に対して贈る記念章に名前を残している。
以上は、有名なネット上でのフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用しましたが、
原書などは難しいので、肉まん父さんの二人の娘(くりぃむ&ホイップ)は次の漫画を母親(あんまん母さん)が近くの書店で購入し、それを喜んで何回も読んでいました。
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肉まん父さんが、この本を読んでみると、111ページの「お金や高い位を与えて喜ぶ人ではない、ナイチンゲールさんに看護婦学校をプレゼントしてあげたい」という意見で「ナイチンゲール基金」がつくられたシーンをみて、何か感じる物があったのを覚えています。
ラベル:伝記
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